浄土真宗本願寺派 寂静山 正覺寺は、古来よりの名称を「寂静山 妙行院 正覺寺」といいます。。
「岐阜県美濃名誉図誌」 明治28年 光彰館発行 より抜粋
正覺寺は、古来は天台宗のお寺でした。寺伝によれば、弘仁八年(817年)に、天台宗を開かれた伝教大師最澄が、神戸町の日吉神社を創建の折、この地にとどまり、朽ち果てた御堂のなかの聖徳太子の御木像を感得(発見)したことにより、寺院を建てたとあります。その後は、四百有余年の間、「寂静山 妙行院」として、天台宗の一宇としてありました。承久三年(1221年)、後に法然上人のお弟子となる「東 胤頼」の嫡男、東氏二代「東 重胤」が、承久の乱の際、東海道軍として北条泰時氏に属し、宇治川の戦いで負傷。鎌倉への帰国の最中容態が悪化したため、この寺にて、療養していました。その際、一念発起し、出家。当時の住職覚澄の弟子となり、法名を覚念と称しました。その後、貞永元年(1232年)、覚念は、聖徳太子の夢告を得て、当時の多藝群場田邑に逗留されていた、親鸞聖人に面受し、教えを乞い弟子入りします。この時、聖人より「道専」という法名を賜り、十字名号、ならびに「正覺寺」という寺号をいただきました。
応仁元年(1467年)、蓮如上人が三河の上宮寺へ向かわれる道中、当寺にご宿泊になり、宗祖筆の十字名号を礼拝されました。これをご縁に、当寺八代の智道は、蓮如上人に随行し、山科にて本願寺建立のお取持ちをしました。
当寺九代となる永道(俗名「遠藤 盛胤」、郡上八幡城主遠藤但馬守慶隆の祖であり、美濃遠藤姓の始祖)は、延徳元年(1489年)に、本願寺八代の宗主蓮如上人のお弟子となります。その後、明応四年十一月十日、山科にて、智道より正覺寺住職を譲り受け、蓮如上人よりご本尊を頂戴し、岐阜の地へと赴きます。また、明応七年四月八日には、病床に伏した蓮如上人をお見舞いに訪れ、上人の自画自讃の御影を賜りました。
尚、永道が、九代を相続したことにより、正覺寺の住職は、それより「遠藤姓」となりました。
十一代覚應は、天文元年(1532年)八月、山科本願寺が六角定頼等に攻め込まれた際には、いち早く馳せ参じ、その功績により證如上人の御寿像(ご存命中にいただく御姿の絵)を頂戴しました。
本堂 |
正覺寺の中心である本堂です。正確な時代はわかりませんが、天保年間の建築のようです。かの濃尾震災にも倒壊することなく、時代の風雪に耐え、現在も聞法の道場として、現役です。 |
鐘楼 |
戦時中に、供出されたにもかかわらず、再鋳造されたものです。現在は、除夜の鐘の際に、多くの参拝者の心をなごましています。 |
山門 |
現在の門は、濃尾震災での倒壊後、神戸町の護国寺様の裏門を、中古として買いうけたものです。正面の参道は、最近修繕され、左右の木塀とあいまって、やわらかく参拝者をむかえてくれます。 |
正覺寺には、多数の法宝物が現存していますが、ここでは、その一部をご紹介します。
太子堂(全景)伝教大師最澄が、発見された聖徳太子立像がご安置されている御堂です。御木像は、秘仏扱いとされています。 |
太子堂(内陣)正面の御厨子の中に、聖徳太子の御木像がご安置されています。昨今の事情により、セキュリティで警備されています。 |
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十字名号(親鸞聖人 筆) |
正覺寺の浄土真宗開基、覚念坊道専が親鸞聖人より賜った「十字名号」です。平素は、巻納めて、厳重に管理されていますので、お名号もはっきりと見受けられます。 このお名号とともに、「正覺寺」の寺号をいただいたことを思えば、まさしく正覺寺の始まりであり、聖人のお念仏の輪が広まることを願われたお心が、伝わってくるようで、ありがたい法宝物です。 |
蓮如上人 自画自讃の御影 |
正覺寺九代の永道が、蓮如上人のお見舞いに伺った際、今生の別れと嘆き悲しんだことにより、蓮如上人自らお書きいただき、賜ったとされる御姿です。 裏書は、残念ながら現存しておりませんが、その控えに 「大谷本願寺第七世 釋 蓮如 明応七歳 戌午 四月八日 美濃国安八郡平野庄本庄信一色 永道」 とあります。 |
九条殿御下付の五条袈裟 |
正覺寺は、九条殿御祈願所となっております。九条尚忠公の御帰依によって、九条兼實公、九条尚實公の御尊牌を太子堂に御安置しております。他に、三部経、華把が現存しています。兼實公650回忌に際し、全国の真宗寺院に三部経が寄付されたそうです。記録には、高張提灯や門幕などの寄付もあったとしていますが、現存していません。政治的な目的もあったという説を拝見しましたが、歴史的価値として、大切に保存したいと思います。 |
御文章 (證如上人 筆) |
本願寺第十代の宗主、證如上人の直筆の御文章です。ほかに、和讃が一冊現存しています。證如上人が正覺寺に御滞留になり、お書きになられたと伝えられています。 證如上人には、山科本願寺での戦いにおける正覺寺住職のはたらきに免じて、御寿像(宗主御存命のうちに拝領する御影)を賜りました。その御影も、現存しています。 |
阿弥陀如来御絵像 (蓮如上人 筆) |
伝 蓮如上人筆による「阿弥陀如来 御絵像」です。この御絵の裏書も、残念ながら現存しておりませんが、裏書控えによると 「方便法身尊像 明応四年 乙卯 十一月十日 美濃国安八郡平野庄本庄信一色 願主 釋 永道」 とあります。 永道が山科にて、智道より正覺寺住職を譲り受け、岐阜へ向かう際、蓮如上人より賜ったとあります。 ほか、蓮如上人に関する法宝物として、「伝 御衣用 七条袈裟」があります。 |
他にも、多数の法宝物が現存しています。気の遠くなるような年月を、時の住職と門徒方が守り、伝えてこられたことを思うと、私たち現代に生きる者も、その思いを大切に、次の世代へと伝えていかねばならない義務を感じます。